広報とよた2023年8月号 特集1 ついに復原!?重要文化財「旧鈴木家住宅」へ
(注釈)復原…現状の姿を元通りに戻すこと( /復元…失われてしまったものを新たにつくりなおすこと )
豊田市には、国の重要文化財に指定されている建物が2つあります。1つは足助八幡宮の本殿。そしてもう1つが、同じ足助町にある旧鈴木家住宅です。
市は、平成22年に旧鈴木家住宅の建物を譲り受け、平成26年から約9年間、経年劣化した建物を保存するための修理工事(以降、保存修理)を行ってきました。そのため、まだその存在を知らないという人は少なくないかもしれません。
今年8月、先行して保存修理を終えた旧鈴木家住宅の一部(顔とも言える主屋)がついに公開されます。この特集では、旧鈴木家住宅の魅力についてご紹介します。
今に残る、足助の町並み
伝統的な町家が近接して建ち並ぶ足助の町並みは、江戸時代から昭和の初期にかけて形成されました。足助では全国に先駆けて町並み保存運動が始まり、地域の人々の絶え間ない努力により今日まで町並みが残されています。
旧鈴木家住宅とは?
江戸時代から明治にかけて足助の繁栄をけん引した大商家
香嵐渓のすぐ近くを流れる足助川。その涼やかな川沿いに、江戸時代からの古き良き町並みが残っています。旧鈴木家住宅は、その「足助の町並み」のほぼ中央に位置します。「旧」は「かつて」という意味。ここはかつて鈴木家一族の住宅でした。
ほど近くにある足助八幡宮が室町時代に建造されていることから、この一帯には古くから集落が存在していたとされています。特に江戸時代からは、海と山をつなぐ「塩の道」の宿場町として大いに繁栄しました。様々な商家が現れるなか、足助随一の大商家として台頭してきたのが「紙屋鈴木家」。屋号を紙屋としつつも、紙を扱うだけでなく醸造業や金融業、土地経営、三河湾沿岸での新田開発など、幅広い事業で財を成しました。残されたこの土地だけでなく、市内外においても多くの土地を所有していたようです。
建物の保存修理
腐朽は激しいものの、運良く残された地域の財産
市に旧鈴木家住宅が寄附された当時、建物は長らく空き家だったため、腐朽が激しく、すぐにでも修理が必要な状態でした。しかしそれは逆に、改変されずに手付かずの状態であったことで、建物本来の価値が損なわれることなく残されたということでもありました。平成25年に重要文化財に指定され、本格的な保存修理が始まったのです。
ここがスゴイ 3つのポイント
point1 とにかく大きい、その 規模感
建物の多さは、国の重要文化財(近世以前の町家)でも全国第2位を誇る
旧街道「塩の道」を歩き、町並みの中央付近に来ると、周りの町家とはまた少し趣が異なる、平屋のような建物が見えてきます。軒が低く、黒色の土壁や細やかな格子戸が設えられた正面の外観は、いかにも格式が高そう。とはいえ、間口(横幅)は他の住宅とそれほどは変わらない。そう思いながら、旧鈴木家住宅の玄関をくぐると、複数の部屋が連なる室内空間の広さや、梁・柱など建材1つ1つの大きさ、敷地奥に通じる通路、そこから見えるいくつもの建物の存在から、この屋敷が想像以上に巨大であることが分かります。旧鈴木家住宅の敷地が、奥に進むにつれて扇形に開く形状となっているため、入口のある旧街道側からはその規模感がつかみづらいのです。約4,000平方メートルもの広い敷地に、主屋を含め16もの建物が残っています。この建物数は、国の重要文化財に指定されている360の町家(近世以前の町家)の中でも、兵庫県にある堀家住宅(23棟)に次いで2番目の多さなのです。
主屋
江戸後期/1776
桁行15.2メートル、梁間11メートル、切妻造、桟瓦葺、一部二階
16の建物
point2 細部にみる “本物”の美しさ
旧鈴木家住宅は、当時の巨大な資本により調達した良質な材料で、腕利きの職人たちが造り上げたもの。そして江戸時代から現代までの経年変化によって、他には代え難い貴重なものになりました。もちろん、全ての部材が建築当初から残っているわけではなく、腐朽のため保存修理の中で新材に取り換えた部分もあります。しかし、新材に取り換えるにしても、様々な専門家の調査によって当初の材質や設計などを明らかにし、今日の職人たちが伝統工法により忠実に復原作業を行っています。柱や梁、土壁など細かい部分に目を凝らすと、あらゆる本物の美しさを発見できます。
(左上から時計回りに)新旧並ぶ、いぶし瓦・細やかな格子戸・伝統工法で復原した畳・土蔵外壁のなまこ壁・経年で風格が漂う襖・大津壁とその下地
古材再利用へのこだわり
日本古来の建物は、地域に根ざした自然素材を上手に使って造られました。旧鈴木家住宅の保存修理では、残された部材一つ一つを大切にし、極力残すことを徹底しています。例えば、壁の修理では一度解体した土壁の土も再利用します。集めた土に藁や砂、水を加えて練り発酵させることで、粘り気のある良質な左官材になるのです。他にも、屋根瓦は一枚一枚使えるものかどうかを見極めたり、柱や梁などの木材は大工の伝統的技術により、使えない部分だけを新材で補てんしたりしています。
再現へのこだわり
文化財建造物の保存修理では、建築当初の状態に復原することが原則です。あらゆる痕跡から当初の状態を明らかにし、忠実に再現します。例えば、色味のある塗り壁「大津壁」。黄大津、紅大津など大津壁に使われる色土は、産地や採取した地層の年代によって色味に違いがあります。旧鈴木家住宅の保存修理では、現存する土壁の層を丁寧にはがし詳細に分析したうえで、現在入手可能な全国各地の色土をコンマ数ミリグラムの単位で調合し、何枚も色見本を試作しながら壁の色を再現しています。
point3 明かされる足助の史実
江戸時代の大火と、焼け残った最古の町家
先述のとおり、文化財建造物の保存修理は、まず建物の各部材の形状、腐朽の状態などを詳細に調査し、記録していくことから始まります。木造建築は、木材に修理や改変の痕跡が残るため、それを手掛かりに建物の移り変わりが分かることがあります。部分的または全面的な解体を行いながら、建物に残るほぞ穴や釘跡などの痕跡、木材に書かれた墨書なども調査します。
旧鈴木家住宅の保存修理の過程で、とある足助の歴史が初めて明らかになりました。足助の町並みは、1775年(安永4年)にその町家のほとんどを焼き尽くす大火事(「安永の大火」と呼ばれる)に見舞われた歴史があります。主屋の南に位置する仏間座敷の解体調査により、外壁に黒くすすけた跡と、屋根の部材「垂木」の先端に黒く焦げた跡が見つかりました。さらに、天井の部材「棹縁」に1757年(宝暦7年)の墨書が見つかったことから、この仏間座敷は、大火事で焼け残った足助で最古の町家ということが分かったのです。
鈴木家には、建物の他にも、約4,000点に及ぶ生活道具や調度品、約2万点に及ぶ古文書などが残され、これまでの調査から、当時の暮らしや商いなどの様子が分かってきています。
ここまで旧鈴木家住宅の魅力をお伝えしてきました。しかし、現地でこそ感じられる魅力もまた、数多くあります。足助随一の大商家は、当時どんな空間でどんな暮らしをしていたのか。是非、足助の歴史を体感しに旧鈴木家住宅へ。(主屋以外の保存修理は今後も続きます。別途実施予定の「保存修理現場の見学」にも是非ご来場ください。)
8月4日(金曜日)主屋OPEN
旧鈴木家住宅 主屋
建物の見学のほか、映像やパネルによる常設展示をご覧いただけます。また、香道体験や足助の花を使ったインスタレーション展示などの企画も今後予定しています。
- 開館時間…金曜日・土曜日・日曜日、祝日の午前10時~午後4時
- 住所…〒444-2424 足助町本町20番地
(備考)駐車場なし。車の場合は近隣の有料駐車場を利用 - 電話…0565-62-3511
お知らせ
主屋のオープンを記念し、鈴木家ゆかりの貴重な収蔵品を展示します。
特別展「時計の針は再び動き出す」 8月4日(金曜日)~13日(日曜日)の開館日
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このページに関するお問合せ
美術・博物部 文化財課 足助分室
業務内容:豊田市足助伝統的建造物群保存地区や旧鈴木家住宅に関すること
〒444-2424
愛知県豊田市足助町宮ノ後26-2(とよたiマップの地図を表示 外部リンク)
電話番号:0565-62-0609 ファクス番号:0565-62-0606