広報とよた2023年3月号 特集 後世に残したい、地域の民俗芸能。

ページ番号1053127  更新日 2023年3月1日 印刷

夕闇の静寂のなか、行列の行進とともに聞こえてくる鉦の音と、念仏の唱和。綾渡町に古くから伝わる「綾渡の夜念仏と盆踊」は、昨年ユネスコ無形文化遺産に登録されました。市内には、ほかにも様々な民俗芸能が存在し、それぞれの地域で脈々と受け継がれています。あなたの知らない豊田市をのぞいてみませんか。

綾渡の夜念仏と盆踊

民俗芸能とは

民俗文化財の一つとされている、民俗芸能。ひと口に民俗芸能といっても、その種類は様々です。衣食住、生業、信仰、年中行事などに関するものとして、神楽、田楽、風流、舞台芸、祝福芸など多岐にわたります。こうした芸能は、地域の人々が担い手となって、その地域の風土や信仰などを色濃く反映しながら、口承により各地で受け継がれています。

  • 神楽…歌や舞をともなって行われる神事 巫女舞/お囃子
  • 風流…笛・太鼓などに合わせて集団で踊る芸能 夜念仏/門念仏/念仏踊り/銭太鼓
  • 舞台芸…能・狂言・歌舞伎などの舞台芸能 農村歌舞伎/人形浄瑠璃
  • 祝福芸…新春に祝言を述べて賑やかに舞う芸能 三河万歳
  • 渡来芸…国外から日本に伝わり、地域に伝搬した芸能 雅楽

no.01 世界の無形文化遺産、綾渡の夜念仏と盆踊とは。

小さな集落に息づく、昔ながらの盆行事

平勝寺境内の地図 (1)道音頭(2)辻回向(3)門開き(4)観音様回向(5)神回向(6)仏回向

足助町の香嵐渓から東へ約6キロメートル、標高500メートルの山あいに二十数世帯が点在するまち、綾渡町。ここでお盆(8月10日と15日)の夜に行われる盆行事が「綾渡の夜念仏と盆踊」です。
日が沈みかける頃、平勝寺参道に20人ほどの男衆が集まり、「綾渡の夜念仏と盆踊」は始まります。夜念仏とは、新仏(1年のうちに亡くなった人)の成仏を願って仏事供養をするもの。もともとは、新仏のある家々を回って行われましたが、現在は新仏の有無にかかわらず、毎年、平勝寺境内で行われています。
夜念仏の流れは、大きく6つの段階を経て進行します。
まず、参道を進みながらの(1)道音頭に始まり、(2)辻回向、(3)門開き、(4)観音様回向、(5)神回向、(6)仏回向の順に、それぞれで和讃(念仏)を唱えます。
夜念仏が終わると、次は、ほかの住民も加わっての盆踊。静かで幽玄な夜念仏とは対照的に、解放されたかのように明るく全身で表現する踊りです。踊りの輪には、里帰りの人や見学者も加わります。

綾渡だけで残った「夜念仏と盆踊」

夜念仏の起源は定かではありませんが、足助町に残る古い「夜念仏供養塔」には寛政6年(1794年)という年号が見られることから、江戸時代には夜念仏が行われていたと考えられます。かつては岐阜県南部や西三河の北西部で広く行われていたようですが、時代の流れとともに村々が絶え、人手がなくなり、「夜念仏と盆踊」が残るのは綾渡だけになりました。なぜ綾渡では残ったのか。その理由として確かなのは、絶やすことなく続けてきた綾渡の人々の並々ならぬ情熱と努力があったということ。「綾渡の夜念仏と盆踊」はその価値が評価され、昭和37年に県の無形民俗文化財に、平成9年に国の重要無形民俗文化財に指定されました。そして、昨年11月、「綾渡の夜念仏と盆踊」を含む41件(24都府県)の重要無形民俗文化財が「風流踊」としてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

綾渡の夜念仏と盆踊を後世につなぐ人たち

民俗芸能の歴史は、その地に住む「人」の歴史でもあります。「綾渡の夜念仏と盆踊」に必死に取り組み、支えてきた地域の人たちをご紹介します。

1 楽器を使わない盆踊で「唄」を唄い続けてきた人たち

盆踊り
盆踊の様子

「綾渡の夜念仏と盆踊」が民俗文化財として評価される点は、その素朴で昔ながらの形態が今なお続いていること。夜念仏はもとより、盆踊でも太鼓や笛などの楽器は一切使われません。盆踊において、踊り手の頼りになるのは「音頭取り」の唄のみなのです。1時間にも及ぶ盆踊。約10曲もの唄を、皆をリードしながら唄い続けるには相当な訓練が必要です。昔ながらの形を変えずに唄を唄い続けてきたからこそ、他にはない「綾渡の夜念仏と盆踊」があるのです。

在りし日の記憶

「足助の聞き書き第2集~語り継ぐ記憶と歴史~」より 語り:故 松井鑛弌(こういち)さん

…戦争前の夜念仏を知っている人たちが手取り足取り教えてくれただもんね。昔の指導は厳しかった。ほんで、うちは親父も唄うたい、おじいさんも唄うたいだったな。代々うちは声がよかっただか知らんけども、みんな唄うたいだ。…音頭取りの人の声がいいっちゅうことで、念仏唱えたあとの踊りの唄も両方やることが多かった。ずっと声をだしとるで大変だぞって言われたけども、そんなん始めた時分で真剣だったもんで、かまわんて、一生懸命練習したよ。俺は唄をやるようになってからお盆でみんなが飲んどっても一滴も飲まなんだ。…

2 存続の危機に、綾渡を支えた一人の教師の存在

昭和21年から16年間、地元の椿立小学校で教べんをとり、その間、地域の人々と深く接し、村の歴史や生活を熱心に研究していた教師がいます。故 鈴木茂夫先生です。昭和30年代に各地の夜念仏が終わりを迎え、綾渡が最後の1つになってしまった時には「この伝統行事をなんとしても必死で守るように」と地域の人々を励まし支えたといいます。また、当時の流行りから賑やかな盆踊りの姿に変容しつつあった時には、その状況を憂い、本来の文化的価値が公的に認められるように、県に働きかけました。その努力が実を結び、県の無形民俗文化財の指定につながったのです。
鈴木先生が83歳で亡くなり、初盆を迎えた平成19年8月13日。足助町にある自宅で「綾渡の夜念仏と盆踊」が行われました。新仏の家で供養を行うという元来の形で行われたのは40年ぶりのこと。そして綾渡以外の地域に出向いて行うのも異例のことでした。綾渡の人々にとって、とても大きな存在であったことが分かります。
参考:椿立家族ものがたり(平成20年3月 椿立自治区)

3 今、伝統を引き継ぐ地域の思い

担い手不足の問題は深刻。でも「これから」のことを考えていきたい
ユネスコ無形文化遺産への登録には、嬉しさの半面、不安や戸惑いがあるのが正直なところです。担い手不足の問題は本当に深刻で、10年先は続けられているか分からない状況です。とはいえ、先人たちが大切にし、綾渡で残った夜念仏と盆踊。なんとしても残していかないといけない。ユネスコ無形文化遺産になって、なおさらです。地域外の人たちにどのように関わっていただくか、また見学者が安全で見やすいようにするためにできることはないかなど、「これから」のことを、皆で考えていきたいと思います。
(綾渡の夜念仏と盆踊り保存会 会長 水野 昌彦さん)

no.02 ほかにもあります!市内各地の民俗芸能。

小田木人形浄瑠璃(おたぎにんぎょうじょうるり)(稲武)

約140年ぶりに復活した小田木の民俗芸能
江戸時代、中馬街道の宿場町だった当時の小田木村に伝わったとされる人形浄瑠璃。人形浄瑠璃とは、太夫と呼ばれる語り手に三味線が合わせ、人形遣いが人形を操って演じる人形劇です。明治8年(1875年)の全国的なききんにより倹約が強いられ、人形浄瑠璃は中止になり、以来、小田木で上演されることはありませんでした。しかし平成25年に、小田木人形浄瑠璃を復活させようと有志が集結。古い文献も地元で詳しく知る人もいないなか、他県の保存会の協力を得ながら練習を重ね、昨年9月に復活公演を果たしました。

小田木人形浄瑠璃のワンシーン01

小田木人形浄瑠璃のワンシーン02

小原歌舞伎(小原)

大人から子どもまで、地域で受け継がれる、小原の農村歌舞伎
小原歌舞伎は、江戸時代中期から神社に奉納する地芝居として始まったもの。戦後は過疎化により衰退しましたが、昭和50年に有志で結成された小原歌舞伎保存会により今日まで受け継がれています。現在では、小原交流館の歌舞伎舞台「ザ・小原座」で、年2回(5月と10月)の定期公演が行われており、令和3年8月には小原歌舞伎保存会45周年の記念公演が行われました。定期公演の演目には、地域の子どもによる歌舞伎もあり、郷土芸能の伝承・保存が、教育の場にもなっています。

小原歌舞伎のワンシーン01

小原歌舞伎のワンシーン02

とよたの民俗芸能あれこれ

棒の手(旭、足助、挙母、猿投、藤岡、松平)

磨き上げた武芸を神様に奉納
神社などの節句祭に奉納される農民武芸演技、棒の手。猿投神社の祭礼の歴史は古く、16世紀後半には三河・尾張・美濃の180余りもの村から献馬や棒の手が奉納されていたといいます。現在も、猿投神社をはじめ市内各地の神社で、棒の手が奉納されています。

下山の三河万歳(下山)

めでたい時には万歳で笑顔に
三河万歳は、太夫と才蔵と呼ばれる人物が、おめでたい歌や台詞をおもしろおかしく掛け合いながら舞い、新年の訪れを祝福する民俗芸能です。下山地区の三河万歳は、昭和初期に、若者たちが三河万歳の師匠を羽布町に呼び、万歳を教わったことが始まりといわれています。

銭太鼓(高岡)

銭の鳴る音で少女は踊る
駒場町にある駒場神社の10月の祭礼行事として伝えられている銭太鼓。太鼓と横笛による八拍子の伴奏に合わせて、節々で「ヨイヤサッサイ」と声をかけながら、銭太鼓(タンバリンのような太鼓)を持った踊り子たちが踊ります。かなり古くからこの地域で行われていたようですが、その起源ははっきりしていません。

宇内戸の門念仏(旭)

大きな数珠で輪になり、念仏を唱える
有間町宇内戸では、旧暦6月24日に集落の全戸が集まり、地蔵堂に納められている大きな数珠を一緒に持って、集落の辻(十字路)と各家の軒先、地蔵堂のそれぞれで念仏を唱えます。200年近く宇内戸で受け継がれている伝統行事です。

農村歌舞伎(小原、石野、藤岡)

祭りの奉納行事として、江戸時代から農民たちが盛んに演じてきた農村歌舞伎。先述の小原歌舞伎のほか、複数の地域で継承されています。

大沼雅楽(下山)

文化が融合してできた、古典芸能
日本古来の儀式音楽や舞踏などと、中国大陸や朝鮮半島から伝えられた音楽や舞とが融合し1200年以上前にできたとされる雅楽。大沼町では、大人による大沼雅楽会と子どもたちによる大沼雅楽クラブが中心となって継承し、大沼熊野神社の例大祭で奉納されています。

阿蔵の念仏踊り(下山)

ユニークな「はねこみ踊り」
江戸時代に始まったとされる阿蔵の念仏踊りは、現在も阿蔵町で8月に行われています。左手に大きな締太鼓を持ち、右手のばちで打ちながら、片足を蹴って左右に飛び跳ねる「はねこみ踊り」は、市内ではこの地域だけに伝わる特殊な念仏踊りとして知られています。

各地に残る民俗芸能の舞台「農村舞台」を活用する取組

農村舞台アートプロジェクト

古くは農民たちが民俗芸能を披露する場であった農村舞台。市内には82か所の農村舞台が現存しています。これらの保存と活用のため、市文化振興財団は、農村舞台を会場としたアート作品の展示などを行っています。

  • 問合せ…文化振興財団(電話番号:0565-31-8804、ファクス番号:0565-35-4801)
農村舞台アートプロジェクト
農村舞台アートプロジェクト2021でのアート作品

農村舞台「寶榮座(ほうえいざ)」を活用する地元の取組

怒田沢町に残る農村舞台「寶榮座」は、市内で唯一、滞在型の楽屋を併設した舞台。地元では利用希望者への舞台の貸出しや、外部からの支援者を募る「友の会」の設立など、農村舞台の保存・活用に取り組んでいます。

イラスト 寶榮座(ほうえいざ)
農村舞台寶榮座協議会ホームページ掲載のイラスト

地域の歴史・財産である民俗芸能を、これからも

この特集では「綾渡の夜念仏と盆踊」を中心に民俗芸能をご紹介しました。掲載したもの以外にも、市内には多くの民俗芸能があり、変わらずに続くもの、復活したものなど在り方は様々。
少子高齢化や過疎化などにより、民俗芸能を取り巻く環境は厳しさを増しています。しかし民俗芸能は、その地域の「人と人」「人と土地」をつなげ、地域が存続するために重要な役割を担うものです。実際、東日本大震災の復興過程では、民俗芸能や祭礼が被災者の日常を取り戻す一助になったといいます。地域の歴史であり、財産である民俗芸能をどのように守っていくか、現代社会が直面する大きな課題です。

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