「とよたの人物記アニメ」動画配信

ページ番号1004600  更新日 2023年6月2日 印刷

「とよたの人物記アニメ」は、郷土にゆかりのある偉人の中より特に業績のすばらしい人物を子どもたちに語り伝えることを目的に、豊田市教育委員会が2002年度から2013年度にかけて小中学生向けに作成したものです。現在、以下の12本の動画をご覧いただけます。

作品リスト

動画を視聴できます。(外部サイトYouTubeへ移動)

鈴木正三物語

  • 内容
    鈴木正三は、徳川時代初期に活躍した三河武士出身の禅僧です。足助町則定に生まれ、豊田市山中に恩真寺を建て、一貫して民衆とともに歩んだ思想家です。“勤勉の精神”は、現在も広い支持を得ています。
  • 制作年度
    2002年度

西澤真蔵物語

  • 内容
    豊田市は自動車の町として世界にその名を知られるようになりましたが、米の生産高も県下で1位の町です。この農業を支えているのが枝下用水です。大阪の実業家、西澤真蔵が私財を投げ打ち、生涯をかけて、農民と共に枝下用水の建設に取り組んだ物語です。
  • 制作年度
    2003年度

豊田喜一郎物語

  • 内容
    豊田の地に日本に初めての大規模自動車工場を作ったのが豊田喜一郎です。自動織機を発明した豊田佐吉の長男である喜一郎は、父親の夢であった自動車の開発に取り組み、幾多の困難を乗り越え、日本で初めての自動車エンジンの開発に成功しました。
  • 制作年度
    2004年度

村上忠順物語

  • 内容
    国学者・歌人・医師。忠順は幼い頃から学問を好み、父の後をうけ刈谷藩の侍医となる。生涯に収集した本25,000冊、書き写した本6,000冊、著書 378冊にもなり、これらの本は「千巻舎」という文庫に保存されている。
  • 制作年度
    2005年度

内藤学文物語

  • 内容
    今なお、挙母藩の名君だったと称えられる。紀州藩徳川宗将の三男から、挙母藩主内藤家の養子となり、内藤政苗に代わって第二代の藩主になった内藤学文とは、どのような人物なのでしょう。なぜ挙母藩の名君だったと称えられるのでしょうか。
  • 制作年度
    2006年度

中村寿一物語

  • 内容
    昭和4年、挙母町長に就任した中村寿一。長きにわたり勤め、就任期間中に青年学校、県立挙母中学校を開校するなど教育の充実、また、土地区画整理を進めるとともに都市計画に着手した。養蚕業の行き詰まりの打開をトヨタ自動車を誘致することで、市の産業構造に革命的な変化をもたらし、現在の豊田市の発展の基盤を作り上げた。
  • 制作年度
    2007年度

牧野敏太郎・義雄物語

  • 内容
    兄・敏太郎は、馬の絵を描き続け「馬の竹亭」。弟・義雄は、ロンドンで霧を描き、ヨーロッパで「霧のマキノ」と、称えられました。遠く離れていても、絵を描きながら弟を励ました兄。自ら選んだ道を自らの手で切り開いた弟。私たちに夢や目標を持つこと、絆の大切さを教えてくれています。
  • 制作年度
    2008年度

藤井達吉物語

  • 内容
    明治14年、碧海郡に生まれた藤井達吉。戦時に疎開した小原村で「小原和紙」と出会い、紙漉きたちに美術工芸の指導を始めました。「昨日より今日、今日より明日」今の自分に満足せず、成長し続けることを伝えています。
  • 制作年度
    2009年度

榊原康政物語

  • 内容
    榊原康政は、三河国上野(豊田市上郷町)で生まれ、若くして徳川家康に見出され家臣となり、数々の戦いに活躍した有能な武将であった。一方で能筆かつ雄弁でもあった。家康が関東に移封されると館林(群馬県館林市)10万石の城主となり、堤防工事や街道整備に力を注いだ。徳川四天王と呼ばれた一人で知勇兼備の武将であった。
  • 制作年度
    2010年度

古橋源六郎暉皃物語

  • 内容
    生まれ故郷、稲橋村(豊田市稲武地区)の発展の為に、私財と知識を注ぎ「貧困の撲滅・村人達の真の自立」に生涯を捧げた六代目古橋源六郎暉皃。特に天保の大飢饉の体験は、現在の私たちへの教訓でもある。
  • 制作年度
    2011年度

渡辺守綱物語

  • 内容
    「槍の半蔵」と呼ばれ徳川十六将の一人として武勇で知られた渡辺守綱。後年、寺部に陣屋を置くと、「殿サン」として領民に親しまれました。家康と戦場を駆け巡り、功あれど足軽頭に甘んじ、「百人堤」を築くなど領民の生活の安定を願い、忠実に自分の責務を果たした人物です。
  • 制作年度
    2012年度

風外本高物語

  • 内容
    足助の香嵐渓にある香積寺の第二五世住職風外和尚は八歳で出家し、厳しい修行のかたわら画についても学び画僧風外、禅僧風外として多くの人々に慕われました。足助での風外は天保七年におきた百姓一揆(加茂一揆)の時、迫ってきた集団の前に立ちはだかり暴挙の非を諭しました。風外和尚の香積寺時代を中心にわかりやすく紹介しています。
  • 制作年度
    2013年度

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