対談 東京理科大学栄誉教授 藤嶋 昭×豊田市長 太田 稔彦

ページ番号1041836  更新日 2021年3月6日 印刷

私たち一人一人の挑戦が、ふるさとのミライを輝かせる。

豊田市制70周年の記念対談にお迎えしたのは、光触媒研究の第一人者として活躍されている藤嶋昭さんです。豊田市で幼少期を過ごした藤嶋さんは2021(令和3)年3月、豊田市名誉市民として推挙されました。対談では「世の中に役立つこと」を探究し続ける研究者としての信念、次代を担う子どもたちへの思いなどとともに、ふるさとの思い出やこれからの豊田市について太田稔彦市長とお話しいただきました。

東京理科大学栄誉教授 藤嶋 昭と豊田市長 太田 稔彦の対談

東京理科大学栄誉教授 藤嶋 昭 PROFILE

  • 1942(昭和17)年 東京都生まれ
  • 1944(昭和19)年 豊田市(現在の足助地区)に疎開のため移住
  • 2005(平成17)年 東京大学特別栄誉教授就任
  • 2010(平成22)年 東京理科大学学長就任(~2018(平成30)年)
  • 2017(平成29)年 文化勲章受章
  • 2018(平成30)年 東京理科大学栄誉教授就任
  • 2021(令和3)年 豊田市名誉市民推挙

豊田市長 太田 稔彦 PROFILE

  • 1954(昭和29)年 豊田市生まれ
  • 2012(平成24)年 第8代豊田市長就任
  • 2016(平成28)年 豊田市長再任(2期目)
  • 2019(令和元)年 中核市市長会会長就任
  • 2020(令和2)年 豊田市長再任(3期目)

コロナ禍において注目される光触媒のパワー

太田市長 この度は、豊田市名誉市民の称号をお受けくださって、ありがとうございます。
藤嶋さん こちらこそ、ありがとうございます。大変光栄なことです。私は2歳から12歳までの10年間、父の出身地である足助地区・旧盛岡村で暮らしました。私にとって豊田市は大切なふるさとですから、豊田市名誉市民に推挙いただき、とても嬉しく思っています。
太田市長 藤嶋先生は地元の誇りですから。市制70周年の節目の年にこうしてお話ができ、光栄です。藤嶋先生が発見された「光触媒」は、新型コロナウイルスが世界中に蔓延する今、医療現場などでの活用が広がっているそうですね。
藤嶋さん そうですね。抗菌・抗ウイルス効果がある光触媒は、以前から手術室の壁にコーティングされ、衛生的な環境の維持に使われてきました。コロナ禍においては、光触媒を採用した空気清浄機を医療機関、特に医療スタッフの控室で使うケースが増えているようです。さらに、光触媒関連の新たな製品を開発している企業もあります。新型コロナウイルスの感染予防にも光触媒が役立てられていて、研究に力を注いできて良かったと感じています。
太田市長 光触媒について、改めてご説明いただけますか。
藤嶋さん 光触媒とは、光が当たった時に働く触媒のこと。その主な物質が酸化チタンです。酸化チタンの表面に光が当たると、強い酸化力が生じて水が分解されます。
太田市長 「分解」というところが光触媒のすごい点でしょうか。
藤嶋さん そうですね。酸化チタンに光が当たって起こる化学反応によって、ウイルスや有害物質、油汚れなど多くのものを分解できるのです。

人の役に立つものを世界中に届けたい

太田市長 光触媒を発見したのは、どんなことがきっかけでしたか。
藤嶋さん 東京大学大学院に進学して1年ほどが経った1967(昭和42)年の春、電池の電極に関する実験をしていた時のことです。酸化チタンの電極と白金の電極を導線でつないで水に入れ、酸化チタン電極に強い光を当てると、それぞれの電極の表面から勢いよく泡が出ることに気づきました。何だろうと調べてみると、その泡は酸素と水素。つまり、水が分解されていたのです。この時、光触媒の元となる原理を発見しました。
太田市長 その成果は1972(昭和47)年に世界的な学術雑誌『ネイチャー』に掲載され、1973(昭和48)年の第一次オイルショックの時に世界中で話題になったそうですね。
藤嶋さん 「石油がなくても水を原料にして水素が取れる」ということに、当時は注目が集まっていました。私は光触媒の現象を「人工的な光合成」と捉え、葉っぱの葉緑素の代わりを酸化チタンが果たしているのだと思い、感動しましたね。
太田市長 画期的な原理を発見するだけではなく、世の中に役立つ製品の開発につなげたことも、藤嶋先生の大きなご功績だと思います。
藤嶋さん いかに日常生活で使えるかという視点を大切にして、これまで光触媒の研究を進めてきました。酸化チタンが持つ強い酸化力と超親水性の光触媒作用を応用し、汚れを防ぐ建築材、曇らない車のドアミラー、大気を浄化する外壁材、空気清浄機などの製品が生まれています。世界中で使っていただけて嬉しい限りです。

対談する藤嶋さんと太田市長

究者としての原点は佐切小学校での学び

太田市長 今回の対談の前に母校である佐切小学校に行かれたそうですね。いかがでしたか。
藤嶋さん 同窓生たちが集まって歓迎してくれました。懐かしい思い出がよみがえってきましたね。祖父母のお墓参りにも行ってきました。
太田市長 佐切小学校では毎年10月、ノーベル賞の発表の時期になると今年こそ藤嶋先生が受賞されるのではと「ノーベル賞受賞を待つ会」を開催しています。子どもたちもノーベル賞や科学を身近に感じているようですよ。日本広しといえども、ノーベル賞で毎年盛り上がる地域はそうそうあるわけではないですから、藤嶋先生の偉大さを感じています。
藤嶋さん 地域のみなさんがイベントを開いてくださっていることに、本当に恐縮しています。何だか申し訳ない(笑)。でも大変光栄なことだなと感謝しています。
太田市長 豊田市と足助町が合併したからこそ、藤嶋先生のご活躍を“オールとよた”の喜びとして、市民みんなで分かち合っています。
藤嶋さん 足助町になる前、私が幼い頃は盛岡村でした。盛岡村立佐切小学校だったんです。それが足助町になってすごいなと思っていたら、今度は豊田市。出身地を聞かれたとき「豊田市です」と答えられることが私の自慢ですよ。
太田市長 佐切小学校時代には、どんな思い出がありますか。
藤嶋さん 一番の楽しみだったのが、佐切小学校で時々行われていた映画上映会。母親と一緒に、真っ暗な夜道を歩いて行ったことを覚えています。懐中電灯はない時代ですから、空き缶にろうそくをつけて、ほのかな灯りで照らしながら行くんです。流れ星やホタルがきれいでね。映画だけでなく、その行き帰りも楽しい思い出です。
太田市長 学校生活はいかがでしたか。
藤嶋さん 6年生の時の理科の授業は今でも印象に残っています。クラスが半分ずつに分かれて「情報収集にはラジオが良いか新聞が良いか」という論戦を繰り広げました。自分たちで考えて意見を言い合う授業は珍しかったですから、忘れられない経験になりました。また、当時使われていた単位は尺貫法でしたが、メートル法を教わったことも衝撃的でした。先生が1リットルのビーカーに水を入れて「1リットルの水の重さは1キログラムだよ」と言いました。それまで当たり前に思っていた一貫目、一匁、一尺、一寸という単位とは違う概念に驚いて、「もっといろいろなことを知りたい」と好奇心が刺激されたのです。そんな学びのおもしろさを体感したことが、研究者の道を進むことになった原動力なのかもしれません。

佐切小学校で一緒に学んだ藤嶋さんと同窓生のみなさん

雑草という草はない

微笑んでいる藤嶋さん

太田市長 私は以前、藤嶋先生のお話を伺い、印象に残っているエピソードがあります。戦時中に東京から疎開で盛岡村に来た時、都会とは違って何もなかったけれど、ホタルの灯りを数えたり、雲の動きを見て次の日の天気を予想してみたり、何にでも興味を持たれたそうですね。それがおそらくご自身にとっての出発点だろうと藤嶋先生がおっしゃっていました。
藤嶋さん そうです。身のまわりにある自然には、不思議なこと、おもしろいことがあふれていますからね。いかに関心を持つかが大事です。牧野富太郎という有名な植物学者が「雑草という草はない」という言葉を残しています。雑草という草はなくて、どんな小さな植物にも名前があるんですよ。草花の名前を覚えただけで、普段何気なく通る道も景色が違って見えるでしょう。関心を持つことが、自分の視野を広げる第一歩だと思います。
太田市長 ものが満ち足りて、いろんな情報にあふれる世の中では、何気ないものに目を向けることが少なくなっているように感じます。物質的な豊かさだけではなく、心の豊かさを求めることが、これからの社会においてますます重要ですね。心豊かな日々を過ごせるように、豊田市では各地区で大切にされてきた身近な地域資源の価値や可能性・多様性をみんなで共有する「WE LOVE とよた」の取組を広げてきました。それぞれが実感している豊田市の魅力を伝え合い、一緒に楽しもうというムーブメントが市民に広がっています。何気ないまちの風景も尊いものとして捉え、大切にしていきたいという市民の思いや行動が、豊田市を「わくわくする世界一楽しいふるさと」に育てていくと信じています。
藤嶋さん まちの魅力を再発見し、次の世代につないでいくための素晴らしい取組ですね。私は大切なものを見落とさないよう、日頃から何でもメモするようにしています。心が動かされたこと、不思議だなと感じたことなど、すべて手帳に書き残しておくのです。長い文章ではなくても、書き留めることで考えが整理できたり、後から見返したりできて、仕事にも役立っています。
太田市長 日記みたいなものでしょうか。確かに、文字にすると自分の考えがまとまりますね。
藤嶋さん あとはスクラップブックも長年つくり続けています。新聞や雑誌などで興味がわいた記事を切り取り、貼ってまとめておきます。情報社会が加速している時代にアナログかもしれないですけれど、自分が気になったことをそのままにせず、自分の手で記録しておくことが後々に役立つのです。

母校を見学しながら、思い出を振り返る藤嶋さん

子どもたちにも学ぶ楽しさを伝えたい

本を読んでいる藤嶋さん

太田市長 藤嶋先生は以前から、科学のおもしろさを伝える講演会や読書推進など、子どもたちを対象とした活動にも尽力されていますね。豊田市では小・中学校などで講演会「藤嶋塾」を開催していただき、子どもたちにとって授業とはまた違った学びの場になっています。また、藤嶋先生から寄贈いただいた本は、先生の母校である佐切小学校で「藤嶋文庫」と名付けられ、多くの子どもたちが科学などに関心を持つきっかけになっています。
藤嶋さん 小学生や中・高生のみなさんに向けた講演会を行う時は、「身近なものの不思議」を題材にお話をしています。たとえば、空はなぜ青いのか。雲はなぜ白いのか。当たり前のこととして普段は気にも留めないけれど、なぜなのか答えるのは難しい問題ですよね。でも、それぞれ理由がちゃんとあるんです。その理由を探っていくと、科学の奥深さを感じて、物事の捉え方も変わってきます。
太田市長 ものの見方とか視点というのは、科学に限らず大切ですよね。
藤嶋さん その通りです。多角的な視点は、いろんなジャンルの本を読むことで身につきます。今回の対談に先立ち、佐切小学校を訪れた時、図書室にも寄ったのですが、藤嶋文庫以外にも本がたくさんありました。私が小学生の頃には考えられなかったこと。学校には勉強する機会が数多く用意されていますから、子どもたちは積極的に活用して、自分からいろんなことを吸収してほしいなと期待しています。
太田市長 オンライン藤嶋塾なども開催して、より多くの子どもたちに学ぶ楽しさを伝えていきたいですね。豊田市は、豊かな人間性を育むための教育環境づくりを推進しています。地域の宝である子どもたちがそれぞれの個性や可能性を伸ばしていけるように、多彩な学びのチャンスを提供していきたいと思います。藤嶋先生、またぜひご協力をお願いいたします。
藤嶋さん 佐切小学校でも藤嶋塾を開催させていただき、私も後輩である子どもたちと交流できて嬉しいです。貴重な機会をつくっていただいて、本当にありがたいと思っています。

子どもたちの前で講演をする藤嶋さん

「藤嶋塾」は、豊田市が独自に開催する、藤嶋さんを講師に迎えた講演会です。ものづくりなどの将来を担う人材育成の一環として、ご自身の研究活動や科学のおもしろさなどについて語っていただいています。これまでに小・中学校を中心に、中央図書館、交流館など市内の各所で開催しました。

より良いミライに向かってともに挑み続ける

「WE LOVE とよたスペシャルサポーター」の任命式の様子

太田市長 藤嶋先生が新たにチャレンジしたいと思っていることは何でしょうか。
藤嶋さん 光触媒による水処理です。非常に難しくて、まだ研究段階。世界中の飲み水をきれいにすること、汚れた池をきれいにすることが目標です。今は東京のお堀を美しくできないかなと思って、水処理用フィルターなどを検討しています。「太陽光によって、汚れた水を自然にきれいにする」技術を、未来のために実現していきたいですね。
太田市長 素晴らしい! その技術が確立すると、世の中のいろんな問題が解決しますね。
藤嶋さん 太田市長はどんなことにチャレンジしていきたいですか。
太田市長 私は3期目の市政経営に全力で取り組みたいと思っています。人口減少や少子高齢化の進展、第4次産業革命、災害の激甚化など、これまで経験したことのない時代へと移っていく現代。先人の進めてこられた歩みと、市民一人一人の思いをしっかりと未来につなぐためのまちづくりを進めます。「すくすく」育つまち、「ゆうゆう」暮らせるまち、「いきいき」活躍できるまち、「わくわく」楽しいまち、「こつこつ」備えるまちの5つを柱として掲げ、安全・安心なまちづくり、元気で明るいまちづくりに挑み続けたいと考えています。
藤嶋さん 豊田市は日本だけでなく世界的にも名の知れたまちですから、これからの発展にも期待しています。私もふるさと・豊田市のために何かお力になれればと、今後も藤嶋塾などを行っていきます。
太田市長 ありがとうございます。藤嶋先生には、「WE LOVE とよたスペシャルサポーター」のお一人として豊田市の魅力も発信していただいていますね。豊田市の将来に対して、何かご要望はありますか。
藤嶋さん 日本は資源が限られた国ですから、未来を担う人材の育成、科学技術の研さんが重要です。自動車産業をはじめ「ものづくり」が盛んな豊田市を中心にして、科学技術をどんどん発展させていただきたいなと思っています。それは豊田市のためだけではなく、日本のため、アジアのため、世界のためになるでしょう。
太田市長 そうですね。未来に向けて豊田市が培ってきた強みにさらなる磨きをかけ、「子どもたちへつなぐ安心で活力と魅力あるまち豊田」の実現に力を注いでいきます。引き続き、藤嶋先生にはご指導いただきますよう、よろしくお願いいたします。
藤嶋さん 私も研究活動や後進育成にますます励んでいきます。また、藤嶋塾などで豊田市にお伺いしますね。

談笑する藤嶋さんと太田市長

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