旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代(とよたの起源)

ページ番号1004596  更新日 2021年9月3日 印刷

豊田市の起源をご紹介します。

旧石器時代

豊田市内には、現在のところ480か所を超える遺跡の存在が知られています。
それらの遺跡から市域における人の活動のこん跡をたどると、約2万年から2万2,000年前の後期旧石器時代にまで遡ることができます。
当時の人々の住居跡は確認されていませんが、市内の遺跡のうち水入遺跡(渡刈町)や上原遺跡(上原町)など約30か所から、ナイフ形石器や尖頭器、縦長剥片や石核などの後期旧石器時代の石器が出土しています。

縄文時代

写真:酒呑ジュリンナ遺跡

後期旧石器時代に続く縄文時代にも、豊田市域における人々の活動のこん跡を見ることができます。
酒呑(しゃちのみ)ジュリンナ遺跡(幸海町 市指定史跡)は、愛知県内の縄文遺跡としては最古の遺跡で、多くの石器とともに「隆起線文土器」と呼ばれる縄文時代草創期(約1万年前)の土器片が出土しています。
そして、縄文時代も中期(約4,500年前)になると、曽根遺跡(森町 市指定史跡)や万加田遺跡(荒井町)で確認された竪穴建物に見られるように、次第に定住生活が営まれるようになってきました。

弥生時代

写真:手呂の銅鐸

紀元前4世紀から3世紀ころ、中国大陸から稲作農耕を中心とした生活文化が九州地方に伝わると、その文化はまたたく間に本州各地に波及しました。
豊田市域においても、西から伝わった文化の影響を受け、弥生時代が幕を開けました。
集団的な労働力を必要とする稲作農耕は、弥生時代中期から後期(紀元後1世紀から3世紀ころ)にかけて、伊保遺跡(保見町)、梅坪遺跡(東梅坪町)、高橋遺跡(高上から上野町)、神明遺跡(鴛鴨町)、川原遺跡(鴛鴨町)など、市内各所に大きなムラを誕生させました。
手呂町から出土した銅鐸(手呂の銅鐸 県指定文化財)は、こうしたムラで行われていた祭祀の道具と考えられています。
弥生時代は、現在につながる集落の基礎ができるとともに、特定のムラや集団への「富」の集中と、生産や流通をめぐる集団間の抗争をも生み出しました。
梅坪遺跡や南山畑遺跡(広川町)の集落を囲む環濠は、抗争からムラを守るために掘削されたものと考えられます。

古墳時代

集団間の抗争を繰り返し、小さな集団はより大きな集団の影響下に組み込まれ、やがて社会は、突出した権力をもつ個人を巨大な墓に葬る古墳時代へと移行していきました。
豊田市域においても、5世紀ころには宇津木古墳(花本町 滅失)や百々古墳(百々町 滅失)などの古墳が築造され始めました。
そのほか、市内に現存する唯一の前方後円墳(帆立貝式)の八柱社古墳(森町 市指定史跡)も市域における比較的古い年代の古墳と考えられます。
6世紀代には、巨大な石によって造られた石室を持つ池田1号墳(猿投町 県指定史跡)や、出土した装飾須恵器などが国の重要文化財に指定された豊田大塚古墳(河合町 県指定史跡)など、市内各地に君臨した支配者層の墓が今に残されています。以後、次第にその規模や性格を変えながら、8世紀に至るまで、市内には200基を超える古墳が築造されました。

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