新選組の安藤早太郎が挙母藩士ということが判明しました

ページ番号1028224  報道発表日 2018年12月6日 印刷

宮内庁宮内公文書館所蔵の史料に記されていた新選組の隊士名簿から、新選組の安藤早太郎が、挙母藩士だったことが判明しました。江戸時代に豊田市中心部を治めた挙母藩の藩士・安藤早太郎は、奈良東大寺において通し矢日本一の大記録を打ち立てますが、やがて脱藩しました。それから12年後に京都で結成された新選組の初期の名簿に、副長助勤として「安藤早太郎」の名前があります。これまで早太郎は、脱藩後に新選組に加入したという説と、両者は別人という説が対立してきましたが、新しく確認できた史料により、両者は同一人物であることが決定的となりました。今後は、安藤早太郎が幕末の京都で新選組の幹部隊士として活動していたこと、故郷挙母から遠く離れた京都の池田屋において、身をなげうって必死に戦ったことを、豊田市民に知ってもらえるような企画などに取り組んでいきます。

判明したこと

  • 挙母藩士安藤早太郎は脱藩後に新選組に加入し、「副長助勤」という重要な役職を得て、京都で活動していたこと。
  • 「雪荷派弓術」の添書きから、剣の達人が揃う新選組の中にあっても、安藤早太郎の弓術の実績が評価されていたこと。

新たに内容を確認した史料

『維新階梯雑誌』(宮内庁宮内公文書館所蔵)

  • 文久3年(1863)12月下旬に新選組が会津藩に提出した隊士名簿が掲載されている。
  • 名簿には出身地と年齢も記され、安藤早太郎については「三州」「四十才」ととともに、「雪荷派弓術」と添書きがある。
維新階梯雑誌
「維新階梯雑誌」(宮内庁宮内文書館所蔵)
安藤の記載部分拡大
安藤早太郎の記載部分拡大

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